校歌

校歌『学びて去らばふり顧れ』

 「学びて去らばふり顧れ」。附属高校生が折にふれ時にふれ歌い継いできた校歌、そして卒業してもなお同窓会しめくくりに必ず歌われる校歌の一節である。
 この校歌の作詞者は言うまでもなく室生犀星である。室生犀星に校歌の作詞を依頼したのは、川西弘晃教頭であった。川西はその時の思い出を、『金大付高新聞』(第九四号)開校二十周年記念の特集「はたちの付高」で次のように語っている。
 「東京文京区駒込のお宅に犀星先生を尋ねたのは昭和二十七年晩秋の一日であった。生垣に囲まれた先生のお宅、門を入ると芝生が美しく、その中に飛び石伝いの道が通じている。その道が自然と曲って玄関へ出た。木造和風平屋建ての可成り年代を経た家である。かねてご連絡申し上げておいた訪問であったので、来意を告げると直ちに通された。部屋の中程には四角な炉が切られ、鉄瓶から静かに湯気が立っている。襖と紙障子に囲まれてガラスが全然使われていない。明治の住居に返ったような静けさである。数分後襖を開けて出てこられた先生は、和服をきちんと着こなされているが、丸刈りの頭で、農村育ちの私には田舎の村長さんに相似たようで親近感を覚えた。話題が金沢に入ると、先生の話ぶりはとつとつとではあるがしばし望郷の念にかられておられたようである。やがて私は、学校の性格と所在を申し上げ、厳しい真理探求の態度、あたたかい友情と謙虚な気持ち、師第の間の信頼感等を織り込んだ校歌の作詞についてお願いした。先生は校歌は純文学ではないのでむつかしいのだ、と言われたが、二カ月の期限を切って快く承諾して頂くことができた。」
 昭和二十八年(一九五三)の年が開けてまもなく、犀星から校歌の原稿が届けられた。詞に「疑問なり、希望なりあったら申し越されたい」とのことであった。川西は「謙虚」は音読したら字足らずになるのであるがどう読めばよいのかという質問を折り返した。
 「学びて去らばは、卒業の意味でわすれないように思ひだすよう。学び来たらばは、入学、『不変の自然』自然も変わらないといふ意味を入学者に加へて詠んだもの。とくに不変の自然といふ硬い文字をえらんだのは、いくらか額ぶち的な役割です。野田のみちみち謙虚の、は、けんきよですが、やはりさういふ硬さが必要な気がしたのです。この二文字は私にも不本意なものですが、これは適当にお考へになってお示しを願へればそれに改訂してもよいのです。
 一章  学校の所在、総則的な示訓、厳格と清浄
 二章  海との関係、生徒の和平
 三章  学びて去らば、及び次の『来たらば』の二行は教師から生徒への言葉。次の二行は登校の歌」
 これが犀星の回答の原文そのものである。なお、「謙虚」は改訂されなかったのは言うまでもない。
 作曲は、当時の音楽担当教官吉島喜三郎の提案により、同氏の恩師東京芸術大学教授下総皖一に依頼した。下総も「室生犀星さんの作詞なら」と快諾した。
 こうして格調高い校歌が出来あがったのである。
「金沢大学教育学部附属高校『附高五十年』」より引用