「問いがつながる授業」って何?

 私たちは考える子を育むのに、「問い」が有効なのではないかと考えました。理由は3つあります。
 言葉にすることで何を知りたいのか、何が分かっていないのか明確になるからです。また、問いを持つにも応えるにも、考えなくてはならないからです。この意味で、問いを持つこともそれに応えることも「考えることを鍛える」ことになります。
 また、問いはその事柄に興味を持てないと生まれません。分かりたいと思わなければ、生まれません。だから、もし問いを持つことができたとしたら、それは主体的に考えた結果だと客観的に捉えることができます。
 発言を躊躇する子の理由の一つに、「質問されるのが嫌。」という気持ちがあります。ところが、学ぶ集団であれば問いはむしろ、話し手との関係を築くものだと考えます。少なくとも、「あなたの伝えたいことを私は理解しようとしているよ。」というメッセージを伝えるものだからです。それだけでなく、質問に応えてもらうことにより聞き手は、分からなかったことを理解でき、話し手も、自分の説明の不足に気づき、理解を深めたり確かにしたりすることができます。

 ところで、こんなにメリットのある問いを、授業で投げかけているのは誰でしょうか?

 これまで多く見られた授業は、問いを投げかけていたのは教師だったのではないでしょうか。子どもは答えるだけ。(図左)ところが、問いを発すること自体が考えることを鍛える行為であり、自分の問いに応えてくれる友達の考えを受け入れたり、友達の問いに応える別の友達の考えを吟味したりすることも考えることを鍛えるなら、問いを発するのは学ぶ主体の子どもたちであるべきではないでしょうか。だから、私たちは、子どもも教師も、お互いに問いあい、応えあう相互作用型の授業(図右)を目指します。
 これができれば、対象への見つめ直しが繰り返され、より深い理解が得られると考えるからです。
 学ぶことは問うことであり、問うには考えなくてはならないとしたら、自ら問う力を育成することが、考える子を育むことになるのではないかと考えます。
 子どもから投げかけられた問いを基に、お互いに自分の考えを説明しあう相互作用の中で、考えを深めたり拡げたりしていくことで、考える子を育んでいく。
 自らの問いに対して、考えれば分かるという自信を持たせたい。仲間とともに考えを深めたり拡げたりする楽しさを味わわせたい。
 そこで、次のような仮説を立て、問いがつながる授業を目指すことにしました。

 「子どもが共通の目的に向けて互いに問うことができれば,考える子を育むことができる」