3年1組 社会科「わたしの住む地域のりんご作り」より 2時間目
う~ん・・・。なんかちがう・・・。
授業者は、1時間目が終わって、ずっと考えていた。
1時間目に、りんご作りの導入をして、「工夫」「努力」「願い」のキーワードが子どもから出された。
これは、これまでの学習の視点が生きていたからだからいいのだが、何か違和感がある。
さっそく、板書の画像を持って、国語の達人FKさんに相談に。
FK「国語では、もっと願いとか思いを大切にするな。作り方を勉強するのが目的なの?」
!!!
しまった!<りんごの作り方は?>という意識に、私が引っ張っちゃったんだ!
子どもは、作った人の気持ちや願いに関する発言やふり返りをしているのに、「作り方を調べていけば、見えてくるかな?」なんてやっちゃったからだ。
まずいなぁ。。。。。このままでは、せっかくの学習が不完全燃焼になるかもしれない。。
自分は、なぜ、こんなつまらない展開にしてしまったのか・・・。
教材研究が中途半端、教材への熱意が足りない、いや、教師としての真剣さが足りないのか、と猛省する。
気づいたところで、修整しようにも、どんな力技を使っても、子どものファーストインパクトを100%修整するのは無理なことを、これまでの経験から知っている。
しかし、3年1組はすごい子どもたちだ。(授業者は、半年間の付き合いで、彼らの底知れぬ力と可能性を感じていたのだ)
このままでは、子どもにフルスイングの授業をさせれやれない。(授業者は、子どもが全力で問題に立ち向かうのが好きである)
どうすべきか、しかし、このままやらずして諦めるのはいけない。
FK「普通なら無理だけど、やってみれば?! 鍛えてある子たちだから、結構いけると思うよ。」
いける?!
そうだ、何としても、彼らを、浅くて狭い檻のような学習路線から開放せねばならない。
彼らを、彼らがもつ問題意識と探究したい線路に、そっと戻してあげたなら、初球はファールだったが二球目はヒットを打つかもしれない。
そして、予定外ではあったが、こうして単元計画作りを兼ねて、2時間目をしたのであった。
写真をご覧いただきたい。
Uさんの願いについての発言は、どんどん湧き出てきた。
りんごの姿や味を思い出して、前時も生かしながら、Uさんの願いに思いを馳せる子どもたち。
「りんご作りにも、いろいろな工夫や努力があると思うけど、(それらはみんな)「願い」を実現するためなんだと思う。」
「今、考えても考えつかないような、もっとすごい工夫をしていると思う。」
「やっぱり、見学に行って話を聞きたいです。」
と、意欲が満ちてくる。
でも、大事な見学は、たぶん一回きり。
無駄な事で時間を使わないように、自分たちで調べられるだけ調べて、分からないことや疑問に思ったことを、見たり聞いてこようとなった。
2時間目、やってよかった。 (o^ ^o)v