3年1組 社会科「わたしたちの住む地域のりんご作り」より 3時間目


りんご作りの一年の仕事について、つかむ1時間だ。

資料を読み取り、いつ、どのような仕事を、なぜそれを、と、話し合いながら授業を進める。

結果、一年間のりんごづくりの仕事について、大まかではあるがつかむことができたようだ。

しかし、油断はできない。

全員に資料も渡し、1時間かけて、なるべく具体的につかめるように、絵に描いたり写真を見せたりしたが、りんご作りの仕事の工夫や努力がしっかり分かったかと思ってはいけない。

想像力のある子でも、心からの実感はないだろうし、子どもによって理解の正確さにも大きく差があるはずだからである。

だから、社会科では見学して、実際を見たり、聞いたり、体験したりすることが大切なのだと思う。

これは、社会科だけではなく、教育活動全般にも言えるかもしれない。

りんご狩りをした子から、

C1 : 「実に、一個ずつ、ふくろをかけていました。」

と言う発言が出た。

これは、手持ちの資料にはなかった。

すると、

C2 : 「そんなことはしないないと思います!りんご全部になんて、めんどくさすぎます。」

C3 : 「ぼくもそう思います。ぼくが、りんご狩りをしたときは、ふくろなんてなかったからです。」

と、反論が出て、多くの子が、反論に共感の様子。

C1 : 「だって、・・・俺、見たもん。」(沈黙)

T : 「今のC1君の意見は、貴重な経験からの意見だったね。経験を生かして発言するのは素晴らしいことです。ふくろについては、Uさんはどうしているのか、見学したときにはっきりするかもしれませんね。」

こうして、りんご作りの一年の仕事についてつかむ1時間は、一通りの仕事の流れを押さえ、袋やその他いくつかの疑問を生み出して終了したのであった。

こうして、C1君の発言と、それに対しての反論が、見学への必要感と意欲を高めることになった。

・・・のならば素晴らしいが、人の心はそれほど単純ではない。

C1君は、明らかに面白くない気分のようだったし、反論した子たちは、みんなが言うんだから袋はないと思って、ケロッとしている。

しかし、これが、3年1組の子たちの学習を驚きと感動に輝かせる、一粒の黄金の種になっていくとは・・・。

彼の発言は、この後、クラス全員はおろか、担任までもを、驚きと感動の学びへと導いていくことになるのである。

3年1組の学びは、担任の予想を大きく超えて走り始めようとしていた・・・。

(つづく)