4年国語「ごんぎつね」

<なぜごんは兵十のかげぼうしを
        ふみふみついていったの?>
〇対象とのかかわりを仕組む
 本時で子どもたちに迫らせたい読みは、「気づかれたくないけど、かかわりたい、アンビバレントなごんの心情」「事実と思い込みのズレ、兵十とごんのすれ違い」に思いをはせることでした。
 そこで、それぞれの解釈の違いを説明し合い、聞き合うことを通して読み深めていく授業展開を仕組みました。まず、隣と互いの考えを聞き合い、すっきりしなかったモヤモヤを全体に紹介するはずだったのですが…。


〇他者とのかかわりを仕組む
 ところが、互いの解釈の違いは認めているのに、モヤモヤは残らなかったと言うのです。分かろうとして聞いているなら、「なぜそう考えるの?」と質問してもよさそうなのに、そこまでつっこんで聞く力がまだ育っていないのだと思い知らされました。


〇学びとのかかわりを仕組む
 自分の考えを発表する楽しさだけがずるずる続き、なかなか読みが深まらないので、端的に絵にすることで気づきを促したものの、時すでに遅く、授業時間中に十分なふりかえりをすることができませんでした。


 それでも、その日の「あゆみ」(日記)には、次のようにふり返る子どもがいました。

Oさんの意見
  今日の課題は〈なぜごんは兵十のかげぼうしをふみふみついていったか〉です。Oさんの意見はみんなとちがって、兵十といっしょにあそんでるつもりでやっているという意見でした。なんとかわたしたちの意見にさんせいしてくれました。でも、わたしはOさんの意見を聞いて少しだけなっとくしました。

兵十のことが… 
  今日、ごんぎつねの勉強をしました。考えてみると、兵十がお念仏がおわるまでまっていたということは、もしかしたらごんは兵十のことが好きなんじゃないかなと思いました。

ん~ 
  わたしは「さみしくて一緒に遊んでいたと思う」と発表しました。しかし、みんなは「二人の話を聞こうと思って」と答えました。もう少し詳しく言うと、ごんは兵十になんとかつぐないをしたいという気持ちがあって、いつも兵十のことを気にしながら、さみしい気持ちと自分がくりや松たけをとどけていると分かってほしい気持ちで、いつか一緒に遊びたかったのかなあと考え、後をつけていったのだと思います。わたしは自分の考えが正しいと思うけど、みんなの意見も分かります。みんなをなっとくさせる説明ができなくてくやしいです。

ごんぎつね
  3限目の国語の授業は〈なぜごんは兵十のかげぼうしをふみふみ行ったの?〉という課題で勉 強した。私はかげぼうしは黒いから自分が見つかりにくくなるからだと最初は思っていたけど、「P22にごんは二人の話を聞こうと思ってと書いてあったよ。」とSさんが言ってくれたので「たしかに!」と思った。私の考えは十分にしょうこがなかったなあ。

ごんぎつね
  私の一番の意見は「二人の会話が聞きたかったから」です。本文中に根きょがあります。兵十の影をふんだのは、加助は前に一回ふり向いたし,兵十の意見が聞きたかったからだと思います。根きょはないけど。かげぼうしがふめるということは、あるていど近い。つかずはなれずってこと。先生は今日、一言も先生自身の意見を話しませんでしたね。でも、おもしろかったです。


 これらのふり返りをお読みになって、子どもたちがどんな学びをしたのか想像できるでしょうか?
 11月の発表会に向けて、もっと学ぶ楽しさを味わえるよう、すべきことを見つけた実践になりました。


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