4年国語 プラタナスの木②


11/4(水)第一次の3時間目。原稿用紙2枚以内で感想文を書く。 
  プラタナスの木のかんそう文をかきました。一おうかけました。いがいとかんたんでした。でもたのしかったです。またちがうかんそう文をかきたいです。(F子)
  読書感想文を書きました。今年の夏休みに読書感想文を出したので、書きやすかったです。まず、その本にあった自分のことを書いて、感想を書いて、自分に対した思いを書きました。楽しかったです。(O男)
→ 似たようなふり返りですが、F子とO男では書き上げた作品に差がありました。自分はできていると満足している子にも、向上心を持たせる手だてが必要だと感じました。互いの感想文を読み合い、考え合うことはいい刺激になるはずです。
11/9(月)第二次の1時間目。互いの感想文を読み合う。
  みんなの感想文を読みました。だいめいがにていたけど、中にかいてあることはちがいました。(F子)
→ 期待通り、F子は他の感想文を読むことで、漠然とではありますが「違い」に気づいています。これから何をどう学ぶのか、授業者も楽しみが増しました。
  みんな感想文を書くのがとても上手でした。とくに、Kさんが上手でした。ぼくも上手になりたいです。
  みんなのかんそう文を見て、いろんなことがかいてありました。くわしくかいてあったりしていました。みんなうまかったです。かんそうがたくさんありました。
→ 授業者から見て、上手な感想文はそう多くはなかったのですが、子どもにとってちょっと頑張れば手が届きそうに思える感想文が「いい感想文」なんだと気づかされるふり返りでした。こんなところから、学ぶ意欲は涌いてくるのだと改めて思いました。
授業が楽しみ(A子)
  みんなの感想文と教科書を読み直してみた。私は、おじいさんはこのプラタナスの木だけのせいれいだと思います。それと、プラタナスの木は死んでないと思います。SさんのとNさんのから強くそう思いました。
  プラタナスの木のせいれいは、プラタナスの木が切られて、赤ちゃんに戻って、根の中でマーちん達の元気な声を聞いて、すくすく育つんだと思います。
  もしマーちん達がおじいさんに会えなくても、マーちん達の孫が、プラタナス公園で、あのおじいさんに会って、いろいろ話をできたらいいなぁ。
  プラタナスの木のせいれいは、子どもと会うときは常におじいさんの姿をしていて、プラタナス公園が好きな子どもにしか会えない。おじいさんはプラタナス公園が好きだから、プラタナス公園からはなれない。
  今はこの考えだけど、みんなで話し合ったら、また意見が変わるかもしれません。なので楽しみです。心をやわらかくして授業を受けたいです。特にIさんのが、私とまったく意見がちがったので、もっとくわしく理由を聞きたいです。
→ 学ぶ意欲は、読み直しにつながります。対象と深く向き合うようになるのです。深く関われば、それだけ深く考えることになります。A子の想像は膨らみ、プラタナスの精は赤子に戻り、視点人物の孫の時代に再びおじいさんの姿になって現れる。しかし、プラタナス公園が好きな子にしか、その姿は見えない。きっと彼女の読書履歴が影響しているのでしょうが、想像を楽しんでいることは伝わります。
  さらに授業者として嬉しいのは、自分の今の考えをメタ認知して、授業で聞き合うと、もっと別のことに気づき、変わるかもしれないことを楽しみにしていることです。4月から伝え続けてきた国語の授業の意味を、彼女なりに理解し表現しているのです。少し大袈裟ですが、国語教師としての幸せを感じました。