4年国語 プラタナスの木④


11/13(金)第二次の4時間目。互いの感想文の中から涌いた疑問について解釈を話し合う。
  研究授業で「プラタナスの木」を勉強した。<なぜおじいさんは木の精だと思うの?>だ。私は昨日これを考えたけど、あまり見つけられなかった。だから発表するのに自信がなかった。でも、授業中によ~く考えたら、自分が言いたい意見が出てきた。たくさんの人がいるからきんちょうしたけど、発表できた。
  国語で「おじいさんは、せいれいやようせいやようかいか、ふつうのおじいさんか」といっていました。ぼくとSさんとOさんとWさんは、ふつうのおじいさんと思いました。ほかの30人は、ようせいやようかいと思いました。ぼくのいけんは、文しょうにおじいさんと書いてあるからです。みんなはなんでようせいやせいれいと思うんだろう。
 → 子どもには個人差があります。それでも、それぞれの子がそれぞれなりに考え、少しずつ考える力
  を育んでいきます。授業後の協議会では、児童の理解を揃えないまま次に進むのはどうか、というご
  指摘をいただきましたが、私は「感想文には正解はない。一人一人の信実が書かれているのがいい感
  想文だ。」と考えています。個々の考えにずれがあるから、集団で学ぶよさがあるのではないでしょ
  うか。


この日の協議会でいただいたご意見から、考えたことを書きます。
〇本質に関して
・作品の魅力(伏線を読む楽しさ)に気づいていたのは、一握りの子だったのではないか。
  → 仰る通りです。今後、少しでも多くの子が本質に気づけるよう授業者自身も学び続け、試行錯誤していきたいと思っています。
・伏線に気づく楽しさはあった。他の発言に対して「あーん。」とつぶやく子がいたから。
 ただ、その時、なんで? どこが? と問い返したかった。
  → それも一つの手だてだと考えます。あの場面であの子が気づいた「あーん。」を、全体に広めることで、学びを確かめることはできたと思います。しかし、それまでいささか授業者が出過ぎていたとの反省から、子どもに任せてみました。結果として、その気づきにこだわる子が発言せず、流れてしまいました。結果論として、そこは授業者の出場だったのだと思います。待つって難しいですね。
 ・実際に書いてみたから気づけること。実際に読み合ったから気づけることがある。    一次で思いつかなかった事柄は何? やっぱり大事だと思ったことは何? と次時で考えることで、実感を伴った理解に至るのではないか。その時、教師はどう介入するのかを見てみたい。
  → 単元構想をご理解いただいた温かい意見でした。結果として、次時の介入も失敗してしまうのですが、とても励みになりました。
〇かかわりに関して
・一部「木の精でない」を頑なに主張する子がいて、本時のねらったところにはいかなかったのではないか。
  → 分かろうとして聞き、分かってもらおうとして話す大切さを常々指導してきたつもりなのですが、本時では子どもが相互に問い合う姿があまり見られませんでした。まだまだ成長途上の子どもと授業者です。せめて彼を「木の精と読めるかどうか」という意識にさせられれば、建設的な聞き合いになったのではないかと考えています。
・あちこちで自然発生的に隣と相談していた。全体の場で発言を認められたとき、隣と微笑み会う姿が微笑ましかった。これこそ、協働の学びの姿だと思った。
  → ありがとうございます。授業者が見落としていた姿でした。この意見をいただいた方も「協働の学び」のあり方について追究されているそうで、同士を得た気分でした。共に頑張っていきましょう。 
・人との違いに気づく楽しさはあった。
・話題がずれて行きつつある時、教師がのんびり構えていた。軌道修正のタイミングをどう考えるのか。
  → 軌道修正も、子どもができるようにしたいと考えています。あとでふり返った時、あの場面で軌道修正できればよかったねと、子どもと確認できれば、次につながるのではないでしょうか。本時ではできませんでしたが…。
・どんどん感想を生かす授業だった。きらきら発言が多く見られた。あれだけ意見の言えるクラスなのだから、相互指名すべきだった。そうすれば、自分の聞きたい子を指名できたのに。私なら、ふり返りだけ教師が意図的に指名する。
・内容が深かった分、3分ではふり返られない。
・教師が誘導しないので、参観していてゴールが見えなかった。なぜ?
   → 叙述に基づき、子ども相互で本質に近づいてほしいと考えていました。教えら
れたことは忘れるが、自分たちで発見したことは忘れないからです。教室は、試
行錯誤できる場であってほしいと考えています。
・感想文を読み合う中で課題を作り、学びが子どもたちのものになるように意図していた
ことが伝わってきた。
・自分の気付かなかった言葉から、こんな読みができた! と知る楽しさがあった。
 きっと次時で、いい感想文の条件は深く読み込むことという本質に気づくだろう。
・毎日あんな感じの授業で、Top downがない。効率的なのに、なぜそうしないのかは、
子どもの主体性・協働を通してbottom upを図っているからだろう。
   → 共同研究者からいただいた温かい言葉を、叱咤激励の言葉だと受けとめてい
ます。深い洞察を基にこうして背中を押してくれるから、右往左往しながらもな
んとか前に進めていくことができます。ありがとうございます。
〇ふり返りに関して
 ・5分しかとれず、ふり返りを書き始めて2分後には、私語が目立った。
  → あの状態では、何を学んだか、どのように学んだかの自覚は浅かっただろうと思っています。本時の学びが騒ぎ始めた子にとって薄いものだったからでしょう。その場で生徒指導的に注意するよりも、それが子どもの出した本時への評価だと受けとめ、次時からの授業設計に生かして行きます。それでも、騒いでいた張本人が次のようなふり返りを書いてきました。
  今日は研究授業です。何か当日になるとみんなふつうに授業をしました。いつもみたいに全体が温かく明るい教室でした。そしたら、ふつうの授業になっちゃいました。でも、明るいふん囲気でよかったな。
  今日、研究発表会がありました。すごいきんちょうしました。さいしょはすごいいて、50人ぐらいいてきんちょうしました。すると、T先生とK先生(9月に配属されていた教育実習生)を見つけました。たくさんはなせました。だけど、きんちょうしませんでした。はじまったらたのしかったです。あしたもがんばりたいです。
  → この子たちが本質につながる学びができるよう支援していきたいと思います。