4年国語 プラタナスの木⑤


11/14(土)第二次の5時間目。再度いい感想文について話し合う。
  今日の国語は、いいかんそう文をかくにはどうすればいいかというしゅくだいの答え合わせみたいなのをやりました。ぼくは、いい人のまねをすればいい、字をきれいにかくと書きました。ぼくが考えたいけんはだれもだしていませんでした。なんでかな。ちがうのかな。
→ 自分の考えに自信が持てず、本時で発表できなかった子のふり返りです。こんな子もどんどん意見が言える授業にしていきたいと思っているのですが、研究発表会という名前、普段は存在しないお客さんの視線が、彼にプレッシャーを与えていたのでしょうか。授業者の緊張が知らず知らず伝わってしまったのかもしれません。彼のように感じていた子の考えを救い上げることができたなら、学びももっと確かになったものをと、その場で見とれなかったことを後悔しています。
  今日もけんきゅうじゅ業で「プラタナスの木」をしました。今日は、いい感想文はどんなのかをしました。ぼくは、だいと文章の話題があっているかと、書きたいことをまとめていると、わけがくわしいなどの感想文だと思いました。火曜日がんばりたいです。
  今日は、いい感想文の勉強でした。「自分の生活とくらべる」「題名でひきつける」「登場人物の気持ち」が、いい意見だなと思いました。次に感想文を書くときが楽しみです。
  感想文のことについて考えました。火曜日に書くときは、だん落をくぎるのをわすれずに書きたいと思います。Oさんのをまねして書きたいです。
  今までのじゅぎょうをふりかえって、いい感想文とはどんなものか考えました。ぼくは最初や題も力を入れないといけないけれど、最後は全体の文をよんで思ったことを書いたらいいと思いました。じゅ業を始める前、感想文とは感想を書く文としか思っていなかったので、この勉強を通して学ぶことができてよかったです。
→ これまでの学びをふり返って、次時に書く感想文への意欲が感じられるふり返りです。彼らなりの自己の成長に対する満足感が感じられます。それぞれに重点の置き方は異なっているようですが、今の段階ではそれでいいと考えています。「この書き方がいい感想文の書き方だ」というお題目を丸暗記するものではない、と私は思うからです。


この日の協議会でいただいたご意見から、考えたことを書きます。
〇ふり返りに関して
 ・K男の発言「疑問や感想の他に改善点も書くといい」に対して、「改善点ってどういうこと?」と授業者は聞き返した場面があった。結局K男も自分の言葉で言い換えることができなかったが、それは「主人公の生き方を自分の生き方に取り入れる」ってことではなかったか。
→ 次時で本人に確かめたところ、嬉しそうに肯いていました。参観者の子どもを見る目、見取る能力に舌を巻きつつ、自分にもそんな目と耳がほしいと羨ましくなりました。
・個人のこだわりを大切にすると効率が下がるのではないか。
  → 主体性を育てるには、子どもが選ぶ場を設定することが必要だと考えています。
・いい感想文の条件を探す場面で、18の子どもなりの考えが出された。一次からの変容が見られた。新たに生成された条件だったから。後は、それらをいつ分類・整理・抽象化するのか。個人任せでいいのか。
 → 本時では、時間が足りず拡散したままで終わりましたが、2度目の感想文コンクールで相互評価しあう際に、審査の基準として18の意見を整理・分類しました。「どんなことが書かれているか、そのためにどう読んだのか、読み手を意識して書かれているか」の3つの視点から整理・分類して、一人が3作品を選びました。折りしも授業参加と重なったので、保護者の方々にも付箋を配付し、コメントをいただきました。
・本時は「本気で聞く」が弱かったのでは?
・参観者には、すっきりしない消化不良な授業ではなかったか。
→ 学ぶ力とは問い続ける姿勢であると考えるので、もやもやが残るのは、次時につながる理想的な終わり方だと捉えています。
・最後はほんわかとした気分で終わる、寅さんの映画のような授業だった。