どれだけ問いがつながる授業に迫れていたかを検証する際のものさしとして、5つの子どもの姿を挙げます。授業を振り返り、これら5つの姿が現れていたか。現れたとすれば、何がよかったのか。現れなかったとすれば、どんな手立てを講じればよかったのか。お互いに授業を見合い、検討してきました。
①対象と向き合い 自ら働きかけることにより 自分なりの問いをもつ姿
②自分の問いを言葉にして伝える姿
③他者の思いや考えに興味をもち 問うことで理解を深めようとする姿 (共感的理解)
④簡単に分かったことにしてしまわずに 多角的な視点から問い続ける姿
⑤問いに向き合い 協働して解決していく姿 (論理的な練り上げ)
少し子どもっぽいですが、図に表すと下図のようになります。
まず、子どもは教材に向き合い、何らかの問いを持ちます。
同様に、他の子も教材に向き合い自分なりの思いや考えを持っているので、最初の子から発せられた問いを受け止めることができます。
問いを受け止めた子どもは、もう一度対象を見つめ直し、問いに対して応えます。
返された反応を基に、初めの子ももう一度対象を見つめ直し、そこで納得するか、もしくは再び新たな問いを発するかします。
こうした問いと答えを繰り返し、論理的に練り上げていくことができれば、結果として教師が想定した授業の目的にたどり着くことができ、子どもは知識を獲得するだけでなく、考える力も育っていく。
これが、私たちの目指す「問いがつながる授業」です。
私たちの研究は、実践者の研究です。研究の成果は、実際の子どもの姿で判断していただく他ありません。まだまだ途上ではありますが、11月14日(金)・15日(土)に研究発表会を行います。子どもたちの真剣に考える姿、主体的に学び合う姿、学ぶ喜びを分かち合う姿をご覧ください。お待ちしております。
私たちは考える子を育むのに、「問い」が有効なのではないかと考えました。理由は3つあります。
言葉にすることで何を知りたいのか、何が分かっていないのか明確になるからです。また、問いを持つにも応えるにも、考えなくてはならないからです。この意味で、問いを持つこともそれに応えることも「考えることを鍛える」ことになります。
また、問いはその事柄に興味を持てないと生まれません。分かりたいと思わなければ、生まれません。だから、もし問いを持つことができたとしたら、それは主体的に考えた結果だと客観的に捉えることができます。
発言を躊躇する子の理由の一つに、「質問されるのが嫌。」という気持ちがあります。ところが、学ぶ集団であれば問いはむしろ、話し手との関係を築くものだと考えます。少なくとも、「あなたの伝えたいことを私は理解しようとしているよ。」というメッセージを伝えるものだからです。それだけでなく、質問に応えてもらうことにより聞き手は、分からなかったことを理解でき、話し手も、自分の説明の不足に気づき、理解を深めたり確かにしたりすることができます。
ところで、こんなにメリットのある問いを、授業で投げかけているのは誰でしょうか?
これまで多く見られた授業は、問いを投げかけていたのは教師だったのではないでしょうか。子どもは答えるだけ。(図左)ところが、問いを発すること自体が考えることを鍛える行為であり、自分の問いに応えてくれる友達の考えを受け入れたり、友達の問いに応える別の友達の考えを吟味したりすることも考えることを鍛えるなら、問いを発するのは学ぶ主体の子どもたちであるべきではないでしょうか。だから、私たちは、子どもも教師も、お互いに問いあい、応えあう相互作用型の授業(図右)を目指します。
これができれば、対象への見つめ直しが繰り返され、より深い理解が得られると考えるからです。
学ぶことは問うことであり、問うには考えなくてはならないとしたら、自ら問う力を育成することが、考える子を育むことになるのではないかと考えます。
子どもから投げかけられた問いを基に、お互いに自分の考えを説明しあう相互作用の中で、考えを深めたり拡げたりしていくことで、考える子を育んでいく。
自らの問いに対して、考えれば分かるという自信を持たせたい。仲間とともに考えを深めたり拡げたりする楽しさを味わわせたい。
そこで、次のような仮説を立て、問いがつながる授業を目指すことにしました。
「子どもが共通の目的に向けて互いに問うことができれば,考える子を育むことができる」
みなさんは、学力って何だと思われますか?
これまでに学んできた知識の量で表せるものでしょうか?
子どもに限らず私たち大人も、困難に直面したとき、学力が高い人の方が困難を乗り越えられる、という文脈で考えるなら、学力とは、学ぶ力と何度でも挑戦する力と言えるのではないでしょうか。この場合、学ぶ力とは、「情報を使いこなせる知識に変える力」、つまり「考える力」と言えそうです。
また、昨年6月に閣議決定された第2期教育振興基本計画では、社会の方向性として「自立・協働・創造」が掲げられました。これら3つの理念を実現させる学力にも、考える力はなくてはならないものだと言えそうです。
私たちは学力を、これまで学んできた量ではなく、これからどれだけ学べるかという可能性だと考えます。それには、ものごとをどれだけ自分と関係付けて考えられるか、おもしろいと思えるか ということが大きく関わってきます。この意味で、考える子を育むことは自ら学ぶ子を育てることにつながります。
目標に掲げたものの、果たして考えることは教えられるのでしょうか?
「もっとよく考えなさい!」と叱れば、子どもは考えるようになるのでしょうか?
文科省の澤井陽介教科調査官は、このように言っています。
教える内容を通して「育てる」ことになる。
(「文部科学省教科調査官が語る「思考力・表現力」 徹底解説!」
『Vプレス12月号』 光文書院 2012)
皆さんは、どうやって子どもに考える力をつけておられますか?
教える内容を通して育てる。具体的には、私たち現場の教師が、自分たちで考え、実践していくしかないのです。
私たちはこれまで、何を教えるか、どのように教えるかばかり研究してきたのではないでしょうか。言ってみれば、教師側からのアプローチだったのです。私たちは、子どもがどう学ぶのかを踏まえたうえで、教師に何ができるのか、何をなすべきなのか研究していくことにしました。
この視点から、前年度までの研究を振り返ると、それまでは自己主張の強かった子どもたちが、友達の意見を受容的に聞けるようになりました。今年度からは、一歩先に進めて、聞き取った考えを受けて、主体的に自分の考えを深めたり拡げたりできる子どもを目指します。そうすることが、学ぶ力を育むことになると考えたからです。